《宝塚市スポ−ツ少年団の沿革》


 昭和45年 1月  宝塚市スポ−ツ少年団を結成。
             (後藤亘、吉田龍男、徳澤透、上野誠、砂田耕二郎にて結成準備会を開く)
             ※初代 後藤亘団長。 上野誠理事長。

 昭和45年 2月  第1回大会を開催。
             競技種目 サッカ−(中学生のみ)
             登録団員 250名(11チ−ム)

             宝塚市体育協会に入会
 昭和46年10月  日本スポ−ツ少年団に加盟。
             尼崎園田スポ−ツ少年団と交流。
             競技種目に野球、バレ−ボ−ルを追加し、全ての対象を小学生に限定にする。
 昭和48年10月  日本スポ−ツ少年団を退団。
             宝塚市スポ−ツ少年団と改称する。
 昭和49年 5月  姉妹都市松江市の子供達とのスポ−ツ交歓会を計画、松江市に
             て会合を持つ。相互のホ−ムステイ方式にて行う事で決定。
 昭和49年 8月  松江市スポ−ツ少年団との第1回交歓会を松江市にて行う。
             (野球、サッカ−、バレ−ボ−ル各1チ−ムずつ参加)
 昭和50年 8月  松江市よりスポ−ツ少年団来宝。第2回交歓会を宝塚市で行う。 
             (野球、サッカ−、バレ−ボ−ル、剣道が交流)

 昭和52年      高山忠雄教育委員長 団長に就任。 神宝 剛 理事長に就任。
 昭和53年      正司 泰一郎 団長に就任。砂田 耕二郎 理事長に就任。
 昭和60年10月  宝塚市スポ−ツ少年団創立15周年記念大会を開催。
             宝塚市スポ−ツ少年団登録団員数 2,800名
 昭和60年12月  宝塚市スポ−ツ少年団創立15周年記念式典を開催。
             (功労者表彰、団体表彰、記念講演、レセプション)
 平成 3年12月  宝塚市スポ−ツ少年団創立20周年記念式典を開催。
             (宝塚グラウンドホテルにて)
             宝塚市スポ−ツ少年団登録団員数 2,300名
 平成 5年 8月  第20回松江市・宝塚市少年スポ−ツ交歓会を宝塚市で開催。
             (20回を記念して松江市、宝塚市の両市が記念植樹を行う)
 平成 5年12月  第1回宝塚市小学生駅伝競走大会に参画。
 平成 7年 1月  阪神・淡路大震災により創立25周年記念式典を延期。
 平成 8年11月  宝塚市スポ−ツ少年団創立25周年記念式典を開催。
             (宝塚市立スポ−ツセンタ−にて)
             宝塚市スポ−ツ少年団登録団員数 2,000名
 平成 9年 9月  第1回宝塚市軟式少年野球大会(宝塚市長旗並びに宝塚ライオンズクラブ杯)を開催。
 平成12年11月  宝塚市スポ−ツ少年団創立30周年記念式典を開催。
             (宝塚市立スポ−ツセンタ−にて)
             宝塚市スポ−ツ少年団登録団員数 1,800名
 平成14年12月  第10回宝塚市小学生駅伝競走大会を開催(主管団体)
 平成15年 6月  姉妹都市松江市・宝塚市スポーツ少年団交流30周年記念式典に松江市よりご招待を受ける。
             (30周年を記念し、松江市のフォーゲルパークにて両市が記念植樹を行う)

 平成15年 8月  第30回姉妹都市松江市・宝塚市少年スポーツ交歓会を開催。
             (宝塚ファミリーランド閉園の折りから神戸市王子動物園に場所を移し対面式を行う)
 平成15年 8月  正司 泰一郎団長が砂田理事長に辞意を表明する。 
 平成15年 9月  臨時総会を召集し、渡部 完宝塚市長が新団長に就任する。 
 平成16年 3月  渡部 完団長、岡田 進副団長、清水 茂美副団長、大田 衛一理事長にそれぞれ就任。 
 
平成16年 5月  砂田 耕二郎が顧問に就任。
 平成16年12月  第12回宝塚市小学生駅伝競走大会が10月20日に上陸した台風23号による被害
             (武庫川河川敷)のため、開催以来、初めての中止となる。

 平成17年 3月  競技種目に空手道部が新規加盟し、5競技種目となる。
 平成17年 4月  宝塚すみれライオンズクラブに追加支援(空手道)の了解を得る。
             第1回春季空手道大会が開催される。
 平成17年10月  宝塚グリーンライオンズクラブに追加支援(空手道)の了解を得る。
             第1回秋季空手道大会が開催される。
 平成17年12月  宝塚市小学生駅伝競走大会の後援・支援団体が宝塚平成ライオンズクラブから
             宝塚王仁ライオンズクラブに全面的に引き継がれる。
             昨年中止した第12回目の大会を実施。
 平成18年 3月  渡部 完 スポーツ少年団団長 辞任。
 平成18年 5月  臨時総会を召集し、阪上 善秀宝塚市長が新団長に就任する。
             徳澤 透が顧問に就任。
 平成19年12月  宝塚市スポーツ少年団が「兵庫県くすのき賞」を受賞する。
 平成21年 3月  阪上 善秀 スポーツ少年団団長 辞任。
 平成21年 6月  岡田 進が団長に、中川 智子宝塚市長が顧問に就任。
 平成22年 4月  岡田 進団長、清水 茂美副団長、大田 衛一副団長、松井 永司理事長にそれぞれ就任。
 平成22年11月  宝塚市スポ−ツ少年団創立40周年記念式典を開催。(宝塚ホテルにて)
 平成24年 4月  競技種目にバスケットボール部が新規加盟し、6競技種目となる。
             宝塚すみれライオンズクラブに追加支援(バスケットボール)の了解を得る。
 平成24年 5月  第1回春季バスケットボール大会が開催される。
 平成24年10月  宝塚グリーンライオンズクラブに追加支援(バスケットボール)の了解を得る。
 平成24年10月  第1回秋季バスケットボール大会が開催される。
 平成25年 3月  岡田 進団長ご逝去。
 平成25年 4月  大田衛一が団長、小林 格が副団長にそれぞれ就任。
 平成28年12月  宝塚市小学生駅伝競走大会が宝塚王仁ライオンズクラブから宝塚グリーンライオンズクラブ
             宝塚ライオンズクラブ、宝塚すみれライオンズクラブに引き継がれるとともに、宝塚市土木
             協力会の支援を得る。
 平成30年 4月  小村雅彦が副団長に就任し、副団長は2氏体制になる。
 平成30年 4月  宝塚市スポーツ少年団春季大会の後援・支援が、宝塚すみれライオンズクラブから宝塚グリ
             ーンライオンズクラブに引き継がれて開催される。
 令和2年  3月  新型コロナウイルスの感染拡大防止のため総会、春季大会の中止が決定。
 令和2年  6月  新型コロナウイルスの感染拡大防止のため夏季大会、姉妹都市松江市との少年スポーツ
             交歓会の中止が決定。
 令和3年  1月  大田衛一団長ご逝去。
 令和3年  4月  松井永司が団長に、原田昭彦が理事長に就任。
 令和3年  4月  中川智子宝塚市長が顧問を辞任。
 令和3年  4月  コロナ禍ではあるが、人数制限、時間短縮をして春季大会合同 開会式を開催。
 令和3年  6月  山ア晴恵宝塚市長が顧問に就任。
 令和3年  7月  昨年同様、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、姉妹都市松江市との少年スポーツ
             交歓会の中止が決定。
 令和3年  7月  兵庫県に新型コロナによる緊急事態宣言が発出されたため、夏季大会の中止が決定。
 令和3年 10月  兵庫県に発出されていた緊急事態宣言が解除され、秋季大会を感染予防対策を徹底したうえ
             で予定どおり実施する。
 令和3年 10月  コロナ禍の中ではあるが感染対策を強化し、第28回宝塚市小学生駅伝競走大会を実施する
             ことを決定。
 令和3年 11月  コロナ禍の影響により宝塚市スポーツ少年団創立50周年記念式典を一年遅れで開催する。
 令和5年  7月  姉妹都市松江市との少年スポーツ交歓会が4年ぶりに開催される。

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